FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

家電選びはコストも重要。


我が家では電子レンジの次に壊れると思われるのは洗濯機です。今使っている洗濯機はもう18年以上使っています。
そろそろ壊れてもおかしくはない。

それで洗濯機も購入すべくいろいろ調べ始めました。

洗濯機は他の家電製品と比べるとその価格帯が広いようです。2万円台から20万円近くのものまで様々。

高価格帯のものドラム式であり、当然のごとく乾燥機も付いています。
共働きの世帯においてはこの高性能はかなり役に立つでしょう。

我が家の場合は妻が専業主婦であるので、コストも維持費も高いドラム式はいりません。

次にポイントになるのは音かな。マンションで使う場合は価格が高めでも音が小さいものを選ぶ必要があるでしょう。
我が家は一戸建てなので、この点においても高性能機種は必要ありません。

基本性能だけがしっかりしているものを選べば3万円でお釣りがくる可能性があります。

高性能であり尚且つ経済性に優れているモデルを選んでこその家電選びです。
この辺りが腕の見せ所です。

もしコストの制約がなければ家電選びの楽しみは半減してしまうでしょうね。

スポンサーサイト

電子レンジを購入する。

電子レンジをついに購入しました。

今まで使っていたものは18年前に購入しました。価格は5万円台だったと記憶しています。

その電子レンジのつまみ部分が壊れて、そのコツをつかんでいる妻しか使えない状態が久しく続いていました。

僕は基本的に料理をしません。男子厨房に入るべからずという言葉を忠実に守っています。

しかし、電子レンジすら使えないのはさすがにまずいとは思っていました。

それで3連休でもあったのでいろいろと調べ購入したのです。

自分ではほとんど操作しないのですから、選ぶにあたってもその基準自体を僕は持っていません。
ですから、機能の勉強から始めてその連休はほぼ電子レンジの購入のために費やしてしまいました。

費やしてしまったのですが、それは全く苦痛でも面倒でもなく、非常に楽しく充実した週末だったのです。

たかが電子レンジ選びに3日間もとは思いますが、カタログを見比べたりして家電製品を選ぶのは楽しい。

家電製品の購入は本当に楽しいのです。これは絶対に男の楽しみなのだと思います。

家電選びは男の領域

妻はよく、女は買い物が好きな生き物であると言うのです。なんであれ買い物は楽しいと。

ですから、やたら僕の服や靴、それにカバンなどの身の回りの物の傷み具合をチェックして買い物に誘います。
特に靴に関しては注文が厳しく、つま先部分に少しでも傷があるともう買い換えろと言ってくるのです。

しかし、家電製品はその対象外のようです。電子レンジは半分壊れたままでも18年も使い続けていた始末です。
たまに壊れた部分についての苦情を言うので、少し前にカタログを電気屋で集めて渡しました。

しかし、予算3万円前後で好きなものを選んでくれと言ったのですが全く選ぶ気配はありませんでした。
電気製品は、女性の買い物の対象から外れるものなのでしょうか。

おそらく、家電選びは男性の領域なのです。僕は服や靴を買うことは全然楽しくはないのですが、電気製品を選ぶのは楽しいです。とっても。

買わなくてもインターネットで性能比較などをして週末の午後を過ごすこともあります。

家電製品選びは男の楽しみなのです。

教育について。

今我が家の息子は高校一年です。一人息子なので、塾代や学校の費用は惜しんでいないつもりです。
自分がぼろをまとっても、子供にはしっかりとした教育を与えたい。我が家では教育関係のコストの優先順位が一番高いのです。

僕は公教育には物足りなさを感じています。少なくとも、中学と高校の勉強だけでは十分な知識は身につかないと思う。
教育にはお金が掛かるのです。

一方でマクロ的に見た場合、日本の教育システムは悲観するほどではないことも事実です。

教育委員会の問題は大きい。個々の先生のレベルも高いとはいえない。
しかし、遍く全国民が義務教育を受けられるというシステムは誇れるものだし維持していかなければならないとも思います。

そもそも学校に多くのことを期待し過ぎなのです。学校は国民に平等に学ぶ機会を与えるだけなのです。

それに不満なら学校外での教育にお金をかければよいのです。また、私立学校という選択肢もあります。
私立なら教育委員会の影響もないのです。今多くの家庭は私立を選んでいますね。賢明な選択だと思います。

ポジティブは思考。

僕たちが変えられるのは未来だけです。過去を変えることはできない。

政治や外交の世界では、過去の清算とか、過去を直視して、とかいうことがよく言われますが、これは純粋に歴史の検証ではありません。
賠償金をせしめるための戦略であることがほとんどであると思います。お金がらみということです。

一方個人の生活においては、過去は純粋に学びの対象です。過去から学び、それを未来に生かす。それ以外に方法はないのです。

自分の過去を有意義なものにするには、その過去から学んだことを未来に生かす以外に道はありません。これは僕個人においても真であるのです。

僕は自分の価値等を考えることがあります。これにどれだけ意味があるのかはわかりません。
しかし、自分の価値というものが大事であり、それに対して自分が満足できないのであれば、それを満足行くものにするには未来を変えるしかありません。

僕は50代ですが、まだ自分には十分、自分の未来を変える時間があると考えています。自分の価値を測れるのは自分だけです。
そして、その基準を作れるのも自分だけです。

僕はこれから、自分にとって満足いく未来を作っていく。そして、それができるとと考えています。
楽観的すぎるかもしれませんが、ポジティブな思考からしか未来は生まれないのです。

サラリーマン生活30年。

サラリーマン生活も30年を超えています。30年というのは相当の年月ですが僕には実感がありません。

人は仕事で成長するといいますが、僕は本当に仕事で成長したのでしょうか。その問いに対して胸を張ってYESとは答えられません。

僕は転職したことがありません。大学を卒業して就職した会社にずっと勤め続けています。

それが良かったのか、それとも転職するべきであったのか。どちらの選択肢が正しかったのかはわかりません。

いまの会社からの報酬で家族を養えているわけですから、転職しなかったことは間違いでははなかったのでしょう。

僕は一家の大黒柱としての働きを少なくとも収入の面においては果たしているのだと思います。

しかし、仕事はお金だけではありません。何か物足りなさを感じています。

この30年間に仕事を通して多くのことを経験してきたことは事実です。しかし、自分はどれだけ真剣にそれらのことに対峙してきたのか?
適当に受け流して来ただけのような気もするのです。

こんなサラリーマン生活でよかったのだろうかと、思うこともあります。


 | ホーム | 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。